ディストピア飯日記

こんにちは!マスコミ研究会です!😊


SNS企画・第一弾でお届けするのは、「ディストピア飯」の再現企画です!

ディストピアとは「感情など非論理的・非合理的なものを排除した、効率的な理想の社会」のこと。きっと、そんな未来を想像したことのある人もいるのではないでしょうか。

今回は、私達が考えたそんな「理想の未来」の様子をお届けしたいと思います。

《《《 プロローグ  》》》


時は33XX年。地球温暖化が進んだことで作物が育たなくなり人口も減ってしまったこの世界では、足りない労力はAIによって補われ、人々は仕事も食事も政府によって管理されていた。これは、そんな「ディストピア」の時代を生きる1人の青年の日記である。


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33XX年9月20日

今日の配給もいつもと同じ、カロリーブロック3本とビタミン剤2錠、栄養ゼリー1つだった。特になんの味もない。現代の食事はただ栄養を補給するためのものであり、味なんて必要ない。政府によって完璧に計算、管理された食事は、効率よく栄養を取ることができる。

政府に管理された食事の後は、政府によって決められた仕事をしに行く。今日もまたいつもと同じ、代わり映えのない日が始まる。

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33XX年10月12日

今日も代わり映えしない1日が始まった。栄養補給のためだけの食事をする。プレートに並べられた味気ない食品達を見てなぜか少し寂しい気持ちになる。

そういえば、昨日見た過去のネットバンクに政府の管理が始まる前の食事のことが載っていた。そこには、今までに見たことのない鮮やかな彩りの食事があった。それを見た時、なぜだかものすごくそれを「食べてみたい」という気持ちになった。あんな感覚は初めてだった。

まだこの国に昔の食事に出てきたような食材を育てている所はあるのだろうか。あっても僕の所に届くことはないと思うが、どこかに少しでもあってほしいと思う。

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33XX年11月3日

夢を見た。僕がまだ小さくて、この生活が始まる前で家族みんなで暮らしていた頃の世界だ。懐かしい。働いてばかりの毎日だから、今度の休みに実家に帰ってみるのもいいかもしれない。配給された食事を食べながら、ふとそんなことを思った。

そういえば夢で見た母は、僕に背を向けていて、庭の端の方で座り込んだまま一人で何かをしていた気がする。実家に帰ったら聞いてみよう。昔のように家族みんなで暮らすことは出来ないけれど昔の話をするだけでもあたたかい気持ちになれるかもしれない。

そんな希望を抱いて、今日も1日頑張ろうと思った。

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33XX年12月15日

仕事の合間の栄養摂取は、唯一同僚と顔を合わせる時間だ。とはいっても、配給された食事を黙々と食すだけだ。会話などしない。作業効率が下がるから。

この日常の光景に、なぜか最近違和感を感じる。違和感?何が違うと言うんだ。当たり前のことをしてるだけなのに…。

いつかに見たカラフルな食事が頭から離れない。あれをネットバンクで見てからだ。食事をする時も、仕事中でもなぜか思い出してしまう。腹のあたりが変になったり、口が唾液でいっぱいになったりすることがある。何かの病気だろうか。管理食を食べていれば、そうそう病気にはならないはずだが。

不安と違和感で集中出来ず、仕事でミスを連発してしまった。俺は一体何がしたいんだろう。自分が分からない…。

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33XX年5月5日

最近、仕事がうまくいかない。適職診断によって充てられた仕事だが、本当に向いているのだろうか。よく分からない。

仕事の休養も兼ねて、今日は地方に住む両親に会いにいった。両親は、街は窮屈だからと言って遠くに引っ越したのだ。僕が会いに行くと父は硬く大きな手で頭を撫でて出迎えてくれた。僕の事をいつまでも子供だと思っているに違いない。

父さんは「母さんの手料理が恋しい」といつも言う。僕には、食べものが恋しいというのはよく分からない。母さんの手料理の味もボンヤリとしか思い出せないから、曖昧に笑っておいた。

帰り際に、母が「トマト」をくれた。今では政府が農業全体を管理しているから不思議に思って聞くと、昔に家庭栽培していたモノをどうにか繋いでいるらしい。「旬」だから美味しいよ、と言われた。食べたら結構酸っぱくて目にしみた。

僕もそのうち地方に住んでみようかな。地方に転職先がないか、AI探して貰うことも検討しよう。

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33XX年6月12日

随分前に久しぶりに実家に帰り、母にもらった「トマト」というものを味わって以来、僕はあの身体中に染み渡るようなみずみずしさ、噛み締めるほどに溢れ出す新鮮な甘みや酸味が忘れられなかった。とにかくはじめての感覚だったんだ...

母によるとあれは「野菜」という種類の食物らしい。母が実家で細々と育てていた野菜たちはどれも鮮やかな(逆に見慣れていなくて毒々しくも見えたのだけど...)見た目で、とても印象的にだった。

僕は変えたい。ただ生きるために食べるだけの生活を、毎日同じような見た目、同じような味、ただの添加物の塊を咀嚼して飲み込むだけの食卓を。そのためにはあの「野菜」がヒントになると、僕はそう思うんだ...。

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33XX年7月10日

仕事から帰ると昼間にあった地震のせいか、棚の奥にしまっておいたいろんなものが床に散らばっていた。不要な物は全て政府に渡したと思っていたけれど、小さい頃に使っていたお皿がまだあったみたいだ。管理食を乗せるプレートはもっと味気なくて平たいものだけれど、それは丸っこくて可愛らしかった。ほとんど覚えてないはずなのになんだか懐かしい。

その後、部屋の奥にアルバムが落ちているのを見つけた。自分が持っていることを忘れていたくらい随分と古いものだった。色褪せた写真の中に、食卓を囲むまだ若い頃の両親と幼い僕が写っている。今では見ることのない食べ物がいくつも並んでいた。さっき見つけたお皿も写っている。

そこに盛られているのは野菜だろうか。母が昔、「愛する家族と食事をする時間が幸せ」って言っていたのを思い出す。今は何もかもが管理される時代だけれど、人間の心までは管理できない。

それなら幸せを願ったっていいじゃないか。また今度、両親に会いに行こう。あのお皿を持って。

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いかがでしたか?

「完璧な世界」を生きる青年の生活が、少しずつ彩られていく様子をお届けしました。

今から1000年前、日本は「平安」と呼ばれ、人は和歌を詠むなどして生活に彩をもたせていました。1000年後の未来では、人々はどのように生活しているのでしょうか。楽しみですね🤭


最後までご覧頂きありがとうございました!

それでは、明日の企画もお楽しみに~~🤍😉🤍


Writer 三澤・午來・島村・冨田・高梨・大塚・河野


成城大学マスコミ研究会

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